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■大江健三郎略年譜

  
もうひとり和泉式部が生まれた日
文藝春秋  
定価:
1300円(税別)
 販売中止
頁数:21頁
ISBN4-16-308250-6
初出:1984年5月号 雑誌『海』
短編集『いかに木を殺すか』5番目の作品       


  戦争が終わろうとしていた頃、主人公「僕」の生まれ育った谷間の村に都会から多く女たちが帰ってきた。そのひとりに花伯母さんがいた。五十年輩の花伯母さんは本家の倉屋敷にひとりで住んでいた。
 夏のはじめ放課後に学校に残って遊んでいるときに、高等科の国語授業があり、和泉式部の歌を黒板に女先生が書いて教えていた。歌は十数首書かれていて、「僕」はそのすべてを花伯母さんから教えられて知っていたが、黒板に書かれていたのは歌のすべてであり、自分が知っているシキブサンの歌ではなかった。「僕」は花伯母さんに教えられた部分以外はすべてチョークで抹消するということをした。それは例えば「花咲かぬ谷の底にも住まなくに深くもののを思ふ春かな」を「谷の底にも住まなくに!」と、まるで祝詞のようにして声にして憶えて行くものであった。
 「僕」は
このいたずらで校長室につれてゆかれ殴られることになった。

 その女先生に奇妙な噂が流れだした。先生は神社脇で身もだえしながら舞っている、しかも苦しげな声をたてながらというもの。
それは神事であった。そして「大いなる女たち」についての神話的な伝承が書かれることになった。

 森の伝承と和泉式部の歌との組み合わせという突飛な発想が深い物語を作っている。

 

<冒頭>
   
 自分が育った森の谷間の、「大いなる女たち」の伝承について、長い物語を書く考えをいだく。計画は早くから立て、 − 生まれ出る前から、計画していたという気もするほどだ − 実際に仕事をはじめもした。いまも果たせずにはいるが、計画を忘れたことはない。文章を書く仕事をつづけてゆけば、かつは現世とその前後にめぐりあった・めぐりあう「大いなる女たち」に思いをはせることを止めなければ、ある日、どのように当の物語を書いてゆくべきか、氷粒の融けた水滴がガラス板にキラキラするのを見るように、一挙にわかっている、そうしたことがありうると感じる。

 
<出版社のコピー>
 
 「現代的でかつ芸術的」という批評が、若くして出発した僕の短篇への励ましだった。いましめくくりの時のはじめに、八つの短篇を書いて、そこに映る自分を見る。切実な時代の影に、個の生の苦渋のあとは見まがいがたいが、ユーモアの微光もまんべんなくある。
 思いがけないのは、女性的なものの力の色濃さだった。遠い幼年時の自分と、それほど遠くないはずに死、また「再生」を思う自分を結んでいる。知的な経験と、森のなかの谷間の神話を、懐かしく媒介しているのも女性的なものだ。(大江健三郎)



     想像力の大翼を駆って構築
     する洵爛たる小説宇宙


   四国の森のなかの谷間を舞台に、神話的伝承に支えられて
   森を防衛する勇敢な女たち。グロテスクな性、滑稽な性の
   饗宴と笑いにはじまり、優しさの極みに至る大江文学の傑作!

<おすすめ度>
☆☆☆☆

  販売中止  
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