すばらしい傑作が７４歳の作家によって生み出されました。なんともすごい挑戦です。読者にこれでもか、これでもかと小説のあらゆる可能性をぶつけてきます。こんな小説は今まで読んだことはありません。
　自分の過去の作品をみごとに使ってさまざまな状況を生み出します。大江健三郎と長江古義人とが完全に一体になって、かつ新たなフィクションを生み出します。
　間違いなく歴史に残る傑作です。
　でも、間違っても大江健三郎を初めて読む人は避けてください。いきなりこの小説に触れた人は二度と大江作品を読もうとはしないのではないでしょうから。それほど読者を狭めている作品です。出版社のコピーにつられて”初めて大江を読む人”が近づくものではありません。限られた読者だけでいいのです。大江を長年読んできた読者への過激な挑戦、新しい小説のあり方を示してくれたのですから。作中で作者は過去の、しかも高い評価が定まっている作品を次々と批判します。しかも痛烈な酷評。それは多くの読者が大江作品を読みながらいつも感じていること。その部分を読むだけでも愉快でなりません。

　作品は全三部、十五章でできています。大江作品はつねにタイトルのセンスのよさが特長ですが、各章の名称も面白いです。ここではせめてタイトルだけでも味わってください。直接作品を手に取りたくなるはずです。

　第一部　　｢水死小説｣
　　　序章　　　冗談
　　　第一章　　｢穴居人(ザ・ケイヴ・マン)｣来たる
　　　第二章　　演劇版『みずから我が涙をぬぐいたまう日』のリハーサル
　　　第三章　　｢赤革のタランク｣
　　　第四章　　冗談はつらぬかれた
　　　第五章　　大眩暈(おおめまい)


　第二部　　女たちが優位に立つ
　　　第六章　　｢死んだ犬を投げる｣芝居
　　　第七章　　余波(アフタマス)は続く
　　　第八章　　大黄(ギシギシ)
　　　第九章　　｢晩年の仕事(レイト・ワーク)｣
　　　第十章　　記憶あるいは夢の訂正
　　　第十一章　父は『金枝篇』に何を読み取ろうとしていたか？

　第三部　　こんな切れっぱしでわたしはわたしの崩壊を支えてきた
　　　第十二章　コギーの伝記と憑坐(よりまし)
　　　第十三章　｢マクベス問題｣
　　　第十四章　あらゆる手続きが演劇化される
　　　第十五章　殉死　


　大江健三郎は過去の作家ではなく、まさに今最も先鋭的な、とんがり続けている作家です。