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 管理人チャット

2018年8月4日

 

             香港駐在事情 1

 

 当チャットを始めてから2年が経ちました。
今回から香港駐在で経験したことや思い出等を何回かに分けてチャットしてみたいと思います。

 発令前、成田新東京国際空港(当時の名称)の建設が進む中、私はJTB団体旅行千葉支店で営業をしていました。
 1978年に結婚し、翌年息子が誕生、3人家族としての生活が始まりほっとしていた1981年、香港駐在発令がでました。私は33歳。

 当時、JTB香港事務所は九龍半島のミラマーホテル内にあり所長含め12〜13名程度の事務所でした。主な業務はランド手配とよばれるもので「ホテル仕入」と「ランドオペレーター4社の管理業務」です。事務所内は日本語と英語です(スタッフ同士は当然広東語)。

 着任した数カ月間は新駐在員がどのような上司なのかがローカルスタッフたちの関心事です。彼らの会話の中で時折チュンスイという音が聞こえてきました。チュンスイは広東語で清水の意味。みんな私の観察を疑心暗鬼でおこなっていたのでしょう。

 早く職場に慣れようと彼らと昼食を一緒にしました。最初はあまり歓迎されていませんでした。彼らに私のお弁当を頼んだところアヒルの足や手がおかずのお弁当を買ってきたのには驚きました。昼食以外にも飲茶などを一緒にしながら談笑したり、また、自宅で小パーティをしたりすることでお互いの信頼関係が築けるようになりました。

 香港(当時は英国領)は日本より湿度が高く蒸し暑いため新聞紙が湿気でパリッとしていないのには驚きました。除湿器がいくつあっても足りないくらい湿気の多い気候。・・なので、フラット(英国式の呼び名。マンションのこと)やホテル内は冷房をガンガンかけるので冷房風邪の人が多いこと。そして街全体がうるさく、車の騒音、ビル建築での騒音、香港市民の大きな声で包まれていました。

次回に続く・・・。