2021年 10月号back

 

秋分の日も過ぎ、
コロナ感染もかなり落ち着いてきたこのごろ、
心置きなく楽しもう。
そう、映画館で!

 

 

 

今月の映画

 

8/26~9/25のオリ/パラも終わり静かな秋を迎えた31日間に出会った作品は44本。
流石に芸術の秋、作品の質がかなりアップ、
邦洋画共に面白い作品が揃っています。



<日本映画>

   24本(新12本+旧12本)

【新作】
鳩の撃退法 
劇場版 アーヤと魔女 
ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん 
くじらびと 
いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム 
科捜研の女-劇場版- 
先生,私の隣に座っていただけませんか? 
浜の朝日の嘘つきどもと
マスカレード・ナイト 
由宇子の天秤
総理の夫 
空白

 

 

【旧作】
<逝ける映画人を偲んで2019-2020>
麻雀放浪記  ふたり
日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群
処刑遊戯
大阪の女

 

<伊勢長之助関連特集>
ニュース特番 東京裁判―世紀の対決(25分)

  +森と人の対話(50分) 
奈緒ちゃん 
ルーペ 
カラコルム 
佐久間ダム

 

<その他>
水俣一揆-一生を問う人びと- 
水俣-患者さんとその世界-

 

 

<外国映画>

   20本(新19本+旧1本)

【新作】
白蛇:縁起
  (白蛇:縁起/White Snake) 
白頭山大噴火
  ( Ashfall) 
ホロコーストの罪人
  (Den Stroste Forbrytelsen / Betrayed) 
沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~
  (Resistance) 
オールド
  (Old) 
サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
  (Summer of Soul(…or,

    When The Revolution Could Not Be Televised) 
モンタナの目撃者
  (Those Who Wish Me Dead) 
シャン・チー/テン・リングスの伝説
  (Shang-Chi and The Legend of The Ten Rings) 
アナザー・ラウンド
  (Another Round) 
テーラー 人生の仕立て屋
  (Raftis / Tailor) 
ブライズ・スピリット 夫をシェアしたくはありません!
  (Blithe Spirit) 
ミッドナイト・トラベラー
  (Midnight Traveler) 
スイング・ステート
  (Irresistible) 
アイダよ,何処へ
  (Quo Vadis, Aida?) 
レミニセンス
  (Reminiscence) 
偽りの隣人 ある諜報員の告白
  ( Best Friend) 
大地と白い雲
  (白雲之下/ Chaogtu With Sarula) 
MINAMATA―ミナマタ―
  (Minamata) 

 

【試写】
ビルド・ア・ガール(オンライン試写)
  (How to Build A Girl)
*この試写作品についてはサイトUK Walker(https://ukwalker.jp)のエンターテイメント欄をご参照ください。10月10日頃にアップ予定です。

 

【旧作】
焼け石に水
  (Gouttes d’Eau Sur Pierres Brulantes

   / Water Drops on Burning Rocks)

 

 

 

Ⅰ 今月のベストスリー

  (新作だけを対象にしています)

 

①-1 アイダよ、何処へ
第二次大戦後のヨーロッパにおける最大の虐殺事件といわれるスレブレニツァ・ジェノサイド(8000人以上の虐殺)を、国連軍の通訳として働いた女性と彼女の家族を中心に、状況の厳しさを冷静に描いている。ボスニアの女性監督ヤスミラ・ジュバニッチはこれまでにも「サラエボの花」「サラエボ、希望の街角」等を発表している。

 

①-2  MINAMATA―ミナマタ―
1971年に水俣にやってきたユージン・スミスを通して、水俣の惨状を見つめるアメリカ映画。舞台が日本だけにジョニー・デップとビル・ナイ(この二人は製作者でもある)以外はほとんど日本人俳優が演じている。キャスティング・ディレクターは奈良橋陽子。水俣の問題をこれほど真摯に描いてくれたのはアメリカのアンドリュー・レヴィタス監督、映画だけでなく絵画、彫刻なども発表している芸術家だ。

 

②-1 由宇子の天秤
テレビ局の下請けとしてドキュメンタリーを作る製作会社のドキュメンタリーディレクターの由宇子、局の意向と、真実の間で揺れる彼女の前に、地元で塾を開いている父親に関連して事件が。何が正しい事なのか、ふたつの事件の間で揺れる彼女の生き方を細かく、厳しく描く春本雄二郎監督・製作・脚本作品。見る価値あり。監督は映画館で名刺を配っていた。

 

②-2 空白
社会には色々な人がいて、近づかない方が安全という人がいる。どんな形で接しようが、勝手に解釈されてしまう。親子でいても、師匠と弟子でいても、夫婦でいても、加害者と被害者でいても、こういう人は自分の事しか、自分の方に引き付けてでしか考えない。こんな人物を古田新太がリアル一杯に演じる。下手に接触すれば、こんな男に誰がしたと責められてしまいそう。自己責任と返したい。

 

③-1 くじらびと
インドネシアのラマレラ村、人口1500人の漁村は、手作りの船と銛でマッコウクジラに挑むラマファ(銛打ち)で成り立っている。こんな漁法でクジラを獲るとは驚きだ。船に同乗して接近した画面や、空撮による映像などで魅了するドキュメンタリー。

 

③-2 ミッドナイト・トラベラー
アフガニスタンの映像作家ハッサン・ファジリは、製作した国の平和についてのドキュメンタリーが国営テレビで放映されるとタリバンから死刑宣告を受ける。出演した男性は殺された。ファジリ監督は家族(妻と二人の娘)を守るためヨーロッパへ難民の長い旅に出る。2年に渡るアフガン→イラン→トルコ→ブルガリア→ハンガリー→オランダの移動を3台のスマホで撮った映像から作られたドキュメンタリー。

 

 

 

楽しめる作品が他にも、映画館でどうぞ!(上映が終了しているものもあります。)


白蛇:縁起:中国が製作したアニメ。資本的にはワーナーブラザースが噛んでいるので正確には中米合作アニメだが。かつて日本の東映動画が最初に題材にしたのが「白蛇伝」だったが、半世紀以上経っての新作はフル3DCGアニメで、つるつるの画と、超スピードで描かれるアクション、ラブストーリーで中国では大ヒット。日本でもかなりのヒット。

 

白頭山大噴火:これは韓国映画の「新幹線大爆破」だ。それくらいアイディアに満ちていて、どんどん展開する思いもしなかったストーリーの行方に、目が離せない。中国と北朝鮮の国境にある白頭山が噴火、さらに大きな噴火が予想される中、北朝鮮の監獄にいる男に協力させて…。面白い映画好きは必見です。

 

ホロコーストの罪人:ノルウェーに侵攻したナチス、エストニアだったかから移住してきたユダヤ人一家は、再度悲劇に見舞われる。ナチスに従ったノルウェーの国家秘密警察によりノルウェー内のベルグ収容所に入れられ、更にアウシュビッツに。同じスカンジナヴィアでナチスが来ていないスウェーデンに逃げたりと、つらい真実が描かれる。

 

沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~:マルセル・マルソーといえばフランスのパントマイムの神様で、ヨネヤマママコが目指した人だ。第二次大戦中ナチスが進行したフランスで、彼はレジスタンスに加わっていたという実話の映画化。アメリカ、イギリス、ドイツの合作、監督はベネズエラのポーランド系ユダヤ人ジョナタン・ヤクボウィッツ、マルソーを演じたのはアメリカのジェシー・アイゼンバーグとフランスは関わっていない。

 

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時):1969年ウッドストックの年に、NYCハーレムの公園で行われた黒人音楽のフェスティヴァルの記録映画がやっと今公開された。圧巻はジャズ・シンガー、ニーナ・シモンだが、他にもビッグ・ネームが多数出演。音楽ファン必見。この半世紀で米音楽界も随分変わった。

 

ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん:1959年から84年まで続けられた北朝鮮への帰国事業、地上の楽園へと朝鮮半島出身者と共に日本人妻も多く渡っていった。映画は北朝鮮にいる88歳の姉と、熊本で暮らす67歳の妹を中心に国によって翻弄された家族を描く。今月のトークショー参照。

 

モンタナの目撃者:毎年のように報道されるアメリカの山火事、消火に当たる消防隊員を描いた映画「オンリー・ザ・ブレイブ」もあった。アンジェリーナ・ジョリーが3人の子供を救えなかったというトラウマに苦しむ森林消防隊員を演じる今回の作品、暗殺者に狙われる少年を助けるというサスペンスと山火事の恐怖でドキドキと楽しめる。

 

テーラー 人生の仕立て屋:アテネで仕立て屋を父と営んできた50歳のニコス、突然銀行から店の差し押さえが来て倒れてしまった父の代わりに、一人で仕立て屋の屋台を引いて街を行く。ニコスを演じるディミトリす・イメロスはバスター・キートンの雰囲気。

 

いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム:父、伊勢長之助は記録映画の編集・構成者として名作を数多く送り出した人。太平洋戦争中インドネシアに出征した父は現地でのプロパガンダ映画の製作に従事する。3年間で130本を作ったが、その総てがオランダに保管されていることが判明。それらの映画を挟みながら、インドネシアやオランダを訪ねる伊勢真一監督。今月のトークショー、今月のトピックス:文化映画参照。

 

ブライズ・スピリット 夫をシェアしたくはありません!:ノエル・カワードの戯曲「陽気な幽霊」の映画化。時代は1937年に設定されているが、映画作りは現代的なスピードにあふれていて楽しめる。ジュディ・デンチが霊媒師役で出演している。

 

浜の朝日の嘘つきどもと:福島・南相馬の実際の映画館朝日座を舞台に、コロナ禍映画館を閉めようとする館主と、継続させようとする女性の奮闘ぶりというフィクションを載せたのは、タナダユキ監督。地元の映画館の大切さを教えてくれる。

 

スイング・ステート:なんでも商売にしてしまうアメリカには選挙屋さんがいて、選挙必勝作戦を遂行する。映画の始まりは大統領選の後、思いもよらぬ敗戦でまいっている民主党参謀の主人公。つまり2016年ということだ。舞台をウィスコンシン州の小さな町に変えて、民主/共和の参謀対決が再び始まる。勝つのはどっちだ?

 

マスカレード・ナイト:東野圭吾の大ヒットシリーズ「マスカレード」の映画化第2作。ホテルコルテシア東京の大晦日、大仮想パーティを舞台に繰り広げられる殺人犯探し。グランドホテル形式の人物の出し入れを楽しんでください。

 

 

 

 

 


Ⅱ 今月の旧作

 

<日本映画>
<逝ける映画人を偲んで2019-2020>5本見た内、2本が大林宣彦の監督作品だった。
大林といえば、新人の女の子をスターに仕立て上げ、撮りあげた監督だ。大林監督の中にある可愛いもの感覚が発揮される。今回の「ふたり」では石田ひかりと中嶋朋子が出てくるが、どうも女の子感覚が気持ち悪い。これ、大林監督は本当に好きなことだったのだろうか?あるいは彼が単に若くは無くなっていただけなのか?
<伊勢長之助関連特集>については今月のトークショー参照。
<その他>の2本の「水俣」作品は今月のトピックス、水俣 ユージン・スミスを参照。

 

 

 

 

 

 

Ⅲ 今月のトークショー

 

9月2日 東中野ポレポレ 「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん」 大島新 島田陽磨
この映画の監督島田陽磨と、昨年「なぜ君は総理大臣になれないのか」を発表した大島新との対談が行われた。二人は早稲田大学で冒険部(大島が先輩で、すれ違いで同時に在籍ではないようだが。さらに、高野秀行は彼等の先輩らしい。)に属し、卒業後テレビのドキュメンタリーを監督、さらに映画のドキュメンタリーに進出と同じような経歴を持っている。
この映画では、島田監督が北朝鮮で先に帰国事業で日本人妻として北朝鮮に渡っていた女性に会い、彼女から日本の妹の話を聞き、熊本に住む妹を探し出したという。さらに、映画の編集をした前嶌健治の細かい部分での確かな作品づくりの話がされた。
最近ドキュメンタリー映画が増えているという話も出た。

 

9月9日 K’sシネマ 「いまはむかし 父、ジャワ、幻のフィルム」西村信子 伊勢真一
この映画は記録映画の編集者として有名な父、伊勢長之助が作った戦争中のプロパガンダ映画を追ったドキュメンタリーを息子の映画作家、伊勢真一が作ったものだ。今回は真一の姉、西村信子との対談が行われた。二人の父長之助はあまり良い夫・父親ではなかったようで、1952年頃には家を出て、離婚してしまう。当時3歳くらいだった弟と、10歳くらいだった姉の対談は、ほとんど家にいなかった父に対するきつい姉の言葉から始まった。幼いためにそれ程覚えていない弟と違って、細かい点まで覚えている姉はそれ故に父を好きになれないようだ。

 

9月11日 K’sシネマ 「東京裁判―世紀の対決」「森と人の対話」 熱海鋼一(映像編集者) 伊勢真一
上の姉との対談で父親・長之助に対する悪口が聞けたのだが、今回の対談もそこから始まった。姉からの悪口のことを熱海さんにメールすると、その通りというメールが返ってきたとか。熱海さんは伊勢長之助の最後の弟子、遺作となった「森と人の対話」まで9年に渡って仕えたというが、それまでの弟子は1年か、長くても3年で辞めてしまったらしい。それくらい人使いが荒かったと言えようか。弟子に辞められた時、離婚して一緒には暮らしていなかった息子の真一さんにその役目が回ってきたという。熱海さん、真一さんともに長之助は何も教えてくれなかったという。長之助は子供の頃から映画好き、更に当時の9ミリ撮影機で映像を撮っていたという。東宝の前身PCLに入社した頃には、黒澤明や市川崑もいた中で、彼は一人ドキュメンタリーの方向に進み、フィクションに係ることはなかったという。ちなみに長之助は黒澤の編集は上手いと話していたらしい。「東京裁判―世紀の対決」(1948年)は戦後初の映像であり、「森と人の対話」(1972年)は遺作となった。後者の製作中に大腸がんが判明、撮影されたフィルムを見るのに寝ている長之助と同じ目線でと、熱海さんも横になってみたという。
「いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム」の中で見ることのできたプロパガンダ映画や、この日に見た2本を見ても長之助の編集・構成の素晴らしさを知ることはできる。
最後に熱海さんの編集者としての最新作が「くじらびと」(今月の3位)だと話され、良い映画ですから見てくださいと言われた。さらに10年近く前に書いた本「ジョン・フォードを知らないなんて」についてもお話しされた。

 

9月12日 K’sシネマ 「奈緒ちゃん」 木村勝英(音響構成) 伊勢真一
この日のゲストは伊勢真一監督によれば伊勢長之助の一番弟子を自任している木村勝英。長之助は編集、木村は音響と分野が違うので弟子といっていいのかは迷うところだが。いずれにしろ10年近く一緒に仕事をしてきた人だ。「奈緒ちゃん」は12年に渡って製作が続けられたが、かつて長之助と一緒に働いたメンバー(職人ばかり)がそろって真一の映画作りに集まり、まるで長之助の声が聞こえてくるような中で作られたという。
神津善行のもとで音楽を学んでいた木村は師匠から長之助の映画の音響を担当するように言われる。真ちゃんと木村から呼ばれているという伊勢監督によれば、木村は音楽だけではなく、効果音等の音全部を担当、更にミキシングまでを一人で担当するという。長之助から依頼された音を作って聞いてもらうのだが、気に入ったものを作るまでにはかなりの時間が必要だった。作ったものに対して、こうしたものをという指示がなく、自分で考えて作らなければならなかったという。
木村は寺山修司作品の音楽・音響をするなど幅広く活躍されている人とも紹介された。

 

9月13日 K’sシネマ 「ルーペ-カメラマン瀬川順一の眼-」 伊勢真一監督
対談予定していた瀬川順一の息子でカメラマンの瀬川龍が急な仕事のため参加できず、伊勢真一監督のみのトークショーとなった。
映画の中で瀬川順一自身が何度も語っているルーペ論争は、1939年に製作された亀山文雄監督の「戦う兵隊」の中国での撮影中に起こった。瀬川は日中戦争に兵隊として出兵して帰国後、「戦う兵隊」の撮影に出かけるカメラマン三木茂の助手として再び中国に出かけた。ある時畑で働く兄妹に出会った。亀山監督が兄の男の子を後ろからつかみ、その子が恐怖の表情を浮かべた時、監督がその子の表情を写すよう指示したが、三木は撮影を拒否してしまう。監督の手が写ってしまうという言い訳をしていたが、勿論人道的に撮れないという気持ちだったのだ。その時、亀山監督がカメラマンはルーペから見える世界しか見ていないと、外の世界が目に入っていないと言ったのである。その時瀬川は三木のことを臆病な人だなと感じた。戦場から帰ったばかりの瀬川にとって、頭上に爆弾が飛び交うだけで怖がる三木を見ていたこともあり、そう感じのかもしれない。そのことがあったためか、本来戦うことを肯定的に謳うプロパガンダ映画にありながら、「戦う兵隊」は全体の調子が戦場にいる人間の痛みが感じられる映画になり、上映が禁止されてしまった。
時間が経つにつれ瀬川は三木の行動は勇気のある拒否だったと思うようになる。このループ論争のことを瀬川は何度も話し、伊勢監督も何十回、いや何百回となく聞いてきた。それでも瀬川は話し続けたという。

 

 

 

 

 

 

 今月のつぶやき


●緩急のつけ方が上手く、CGアニメでスピード感を強調してくる「白蛇:縁起」は中国アニメの急激な技術アップを感じさせる。アクション場面の速さは、ほとんど付いていけない速さにもかかわらず、じっくり描く部分のためにそれ程の不満を感じずに見てしまう。

 

●アニメといえばジブリへの信頼度は高かったのだが、今回の「アーヤと魔女」はどうだろうか?CG画面によるセルロイドつるつる感がどうも私にはなじめなかった。

 

●1969年当時の黒人音楽界を教えてくれる「サマー・オブ・ソウル」、当時黒人音楽、特にソウルはほとんど聞いていなかったのだが、今回フィフス・ディメンションとかスライ&ファミリー・ストーンの位置がよく分かって勉強になった。さらに、ニーナ・シモンが圧倒的な存在感を見せたことも驚きだった。

 

●下戸の人には響いてこないのではと思った「アナザー・ラウンド」、何せ、血中アルコール濃度を常に0.05%に保てばすべてがうまくいくと考えた人たちの話だ。飲み過ぎて酔っぱらい、失敗するのも目に見えているようで面白くない。

 

●10年以上続いたテレビドラマが終了した後に作られたと調べていて知った「科捜研の女劇場版」は、前半はほとんど説明的な場面ばかりで驚いた。もう少しやり方があったのでは?後半の謎解きは少し面白くなったのだが。

 

●スマホメイカーはカメラの優秀性をアピールするが、そのスマホの画面だけで作ったに等しい「ミッドナイト・トラベラー」を見ると、題材によってはほぼ支障なく使えることが分かる。

 

●最後に出てくる“妻に捧ぐ”という献辞を見て、主人公の男は監督自身の事かと思った「大地と白い雲」は内モンゴルのある夫婦の物語。それにしても、ちょっと出かけてくると言ったきり何年も返ってこず…なんて物語、う~む大陸的というか。

 

●富士フィルムがユージン・スミスをCFに使おうと後のアイリーン・スミスとカメラマンがユージン宅を訪ねてくる「MINAMATA」。このCFは多分作られただろうと思うが、見たのかどうか覚えていない。当時ユージンを殆ど知らず、記憶に残っていないのだろう。見ましたか?

 

●政治のかたちの映画を描くにしても、アメリカの「スイング・ステート」と比べて、もうちょっとなんとかならなかったのかと思うのは「総理の夫」。安定的な線に落ち着いてしまう笑いが、どうにも歯がゆい。

 

 

 

 

 

 



今月のトピックス:文化映画   

 

Ⅰ 文化映画


文化映画という言葉は、キネマ旬報で行われる毎年のベストテンの中に文化映画部門があることで知っていた。そして、今回、文化映画を取り上げようと思ったのは伊勢真一監督の「いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム」の主人公、伊勢長之助を知ったからである。今月のトークショーで書いたように、この上映会では上映後のトークショーを随分楽しんだ。息子の真一さんの対談相手は長之助と一緒に仕事をした映画人たち。その話の中で、長之助は東宝の前身PCLでは黒澤明等と一緒に映画製作にかかわっていたが、劇映画に進むことは一度もなく、戦争中のインドネシアでのプロパガンダ映画製作を経て、戦後もずっと記録映画を作り続けてきたと聞いた。ただし、長之助は監督ではない。文化映画の編集者として映画を作ってきた。文化映画は劇映画と違い、物語がないものが多い。そのため、脚本、監督が必ずしも存在しない。もちろん作品によって監督も、脚本家もいる場合がある。
私が小学生の時、学校の講堂で映画を見せられた。それはあの佐久間ダムの記録映画だった。壮大なダムといえば、今は黒部ダムを思い浮かべる人が殆どだろうが、半世紀以上前は佐久間ダムだったのではないだろうか?県民として佐久間ダムは愛知県にあると思っていたが、今回改めて調べてみると静岡県と愛知県の県境に作られ、左岸が静岡県、右岸が愛知県ということを知った。周りは天竜奥三河国定公園に指定されている。それはさておき、小学生の頃は映画館に行くと頭が痛くなったためあまり映画を見ていず、憶えている映画はほぼないのだが、この佐久間ダムの記録映画だけは記憶の中にある。迫力のある画面を覚えている。当時、時々講堂で映画を見せられたと思うが、他の作品は総て忘れている。
この「佐久間ダム」のクレジットにも構成・編集として伊勢長之助の名前がある、勿論今回初めて知ったのだが。
ウィキペディアによれば文化映画とは“劇映画ではない映画(非劇映画)を指し示す分類上の総称の一つとある。ドイツのウーファ社が1920~30年代に製作した「Kulturfilm」(クルトゥーアフィルム)に由来したものとある。1920~30年代には映画で人々を教育しよう、或いは教養をつけてもらおうという考え方もあり、普通の劇映画に短編映画を同時上映するのを強制したこともあった。更に文化映画専門劇場も各地に作られたらしい。小学生の頃父親に連れていかれた名古屋でニュース映画専門映画館を見たことを思い出した。文化映画館の成れの果てだったかもしれない。こうした映画館も1960年代になる頃には徐々に消えていった。こうした経緯もあり、文化映画には記録映画、教育映画、ドキュメンタリー、企業PR映画などが含まれる。
長らく映画界では劇映画の方が文化映画より上と見られてきた。劇映画は普通の映画館で見られるが、一部のドキュメンタリーを除き文化映画は簡単には見ることができない。このことが文化映画の方が下とみられる要因の一つかもしれない。文化映画の多くは企業・団体等からの資金で作られることが多く、一般的に公開されることが少ない。
最近封切館で上映されるドキュメンタリーが増えている。それらと併せて、広く文化映画専門館ができてもいいかもしれないと思う。東中野ポレポレはほぼそうした形態に近いが、文化映画の中の企業によって提供されるものは含まれていない。非劇映画専門館は無理だろうか?

 

 

 

 

 

Ⅱ ジャン=ポール・ベルモンド


1960年代前半、中学生だった自分が洋画に出会った頃、男優ではアラン・ドロンが圧倒的人気だった。そんな時、映画雑誌で秦早穂子さんの文章を読んだ。アラン・ドロンなんか目じゃない、フランスではベルモンドが圧倒的な人気だというものだ。そして、彼の生き方、それは“へらへら”と表現されていたと記憶するが、それに魅了されていると言っていた。それ以来、自分も“ヘラヘラ”と生きていこうと決めたのである。
ジャン=ポール・ベルモンドは1959年のゴダールの映画「勝手にしやがれ」で世界に飛び出した。ゴダールにとっても、ベルモンドにとっても、そして秦さんにとっても運命の映画だった。その年にアラン・ドロンは「太陽がいっぱい」の撮影をしていて、翌年には公開された。2つの作品はベルモンド、ドロンの二人をフランス映画の人気俳優に押し上げたのだが、日本とフランスでは全く逆の順位になったのだ。
ベルモンドはその後「リオの男」等で、そのアクロバティックなアクションを披露するようになる。今年の5月に初めてこの作品を見て、高所でもまったく気にしないそのアクションに驚いた。1964年の製作当時、CG画面などという方法はなかったわけで、スタントマンを使わずベルモンド自身が演じて、画面の作り方でごまかすこともなく、そのままに映写される。これより後には、ジャッキー・チェンがこれまた驚きのアクションを見せるのだ。勿論サイレント時代にもハロルド・ロイドやバスター・キートンのように体を張って見せてくれたスターがいた。ベルモンドはそのずっと後に現れた後継者だった。トム・クルーズの現在にまでつなげてくれた中継者でもあったのだ。
そんなジャン=ポール・ベルモンドが9月6日、88歳で亡くなった。最後まで格式張ることなく、へらへらといい年をとっていたような気がする。
絶対に秦さんが書くに違いないと待っていたら、9月10日朝日新聞朝刊の文化欄に載った。彼女があの映画に出会った時を中心に、あの頃のフランスと映画界の状況をまるで眼の前に見えるように描いてくださった。その中でベルモンドは生き生きと、いや、へらへらと生きていた。

 

 

 

 

 

 水俣 MINAMATA ユージン・スミス


8月号でお伝えした「ピーター・バラカンの音楽映画祭」の中で見た「ジャズ・ロフト」は予定より少し遅れて10月15日に封切られる。この映画で描かれるのはユージン・スミスのロフトに集まってくるジャズミュージシャンたちとその音楽だが、彼等の音を記録し続けたユージン自身が主役といっても間違いはない。
その彼が1971年に水俣にやってきて、あの有名な写真「智子ちゃんと母親」を撮るのだが、「MINAMATA―ミナマタ―」はこの写真の撮影時の状況も含め、水俣での行動が詳しく描かれる。水俣で出会った水俣病の少年に高価なカメラを使わせてしまうユージン、そのため市民にお願いしてカメラを使わせてもらうなんてのも、いかにも彼らしい。沖縄戦での負傷で満足に食べることもできず、更にチッソからの暴力で大怪我をしてしまったユージンは、それでも日本を恨むことはなかったという。1971年に結婚したアイリーンと75年には離婚するが、その直前に写真集「MINAMATA」を出している。この日本版が出たのは1980年で、1978年に亡くなったユージンは見ることがなかった。享年59歳だった。
映画公開に合わせて、水俣についてのドキュメンタリー2本が2週間再上映された。土本典明が監督した「水俣―患者さんとその世界―」(1971年)と「水俣一揆―一生を問う人びと―」(1973年)だ。1971年に大学卒業して働き始めた頃で、卒論に公害を取り上げていたのに見ていなかった作品をやっと見ることができた。水俣一揆を先に見たのだが、そのエネルギーに驚いた。命にかかわることなので当然なのだが、熱くなれる時代の違いも感じていた。

 

 

 

 

 

今月はここまで。
次号は、えっ、もう後2カ月?と感じ始めている10月25日にお送りします。


                         - 神谷二三夫 -


感想はこちらへ 

back                           

               

copyright