30度越えの真夏日が続き、
時に猛暑日になったりしながら、
今なお夏に進んでいくこの頃、
涼みたくなったら、
当然ながら、映画館!
6/26~7/25の真夏日ではない夏日は少なかった31日間に出会った作品は45本、邦/洋画は14/31と久しぶりに通常のペース。
新作だけだと14/20と日本映画が検討している。
10本(新10本+旧0本)
【新作】
摩文仁
惑星ラブソング
無名の人生
でっちあげ殺人教師と呼ばれた男
JUNK WORLD
選挙と鬱
「桐島です」
それでも私はThough I’m His Daughter
ババンババンバンバンパイア
黒川の女たち
キャンドルスティック
三谷幸喜「おい、太宰」劇場版
囁きの河
この夏の星を見る
39本(新24本+旧15本)
【新作】
F1
(F1: The Movie)
フォーチュンクッキー
(Fremont)
アスファルト・シティ
(Asphalt City)
脱走
(Escape)
カーテンコールの灯
(Ghostlight)
かたつむりのメモワール
(Memoir of a Snail)
雪解けのあと
(雪水消融的季節 / After the Snowmelt)
28年後…
(28 Years Later)
灰になっても
(寧化飛灰 / Rather Be Ashes Than Dust)
ハルビン
( Harbin)
消防士 2001年、闘いの真実
(The Firefighters)
突然,君がいなくなって
(When the Light Breaks)
ストレンジ・ダーリン
(Strange Darling)
ハンス・ジマー&フレンズ ダイアモンド・イン・ザ・デザート
(Hans Zimmer & Friends: Diamond in the Desert)
スーパーマン
(Superman)
顔を捨てた男
(A Different Man)
バッド・ジーニアス
(Bad Genius)
DROP ドロップ
(Drop)
マーヴィ・ラン 伝説の勇者
(Maaveeran)
【試写】
BIRD バード ここからはばたく
(Bird)(9/05公開)
【旧作】
<ケリー・ライカートと響きあう映画たち>
ウェンディ&ルーシー
(Wendy & Lucy)
夜の人々
(They Live by Night)
<人間を描く ウィリアム・ワイラー特集>
偽りの花園
(The Little Foxes)
デッド・エンド
(Dead End)
女相続人
(The Heiress)
大当たりの恋
(The Gay Deceptien)
この三人
(These Three)
砂漠の生霊
(Hell’s Herees)
探偵物語
(Detective Story)
西部の男
(The Westerner)
我等の生涯の最良の年
(The Best Years of Our Kives)
(新作だけを対象にしています)
今月は作品紹介文の長いものが多くなりました。
1 F1
F1レースの映画化といえば、半世紀以上も前の1966年の「グランプリ」が思い出される。主役のジェームズ・ガーナーに加え、三船敏郎やフランスのイヴ・モンタンなども出演、ジョン・フランケンハイマー監督の華やかな映画だった。今回の新作はFIレースの描写が半端なく多い。印象的には半分以上がレース。様々な角度からのレースが楽しめる。監督はジョセフ・コシンスキー、前作はトム・クルーズ主演の「トップガン マーヴェリック」。今回ブラッド・ピットを主演に迎え、タイトなレース映画を製作したのはジェリー・ブラッカイマー、「フラッシュダンス」「トップガン」「アルマゲドン」などのヒット作を製作してきた製作者だ。
2 黒川の女たち
満蒙開拓団として多くの日本人が満州に渡った。一つの村の多くが固まって移住したところが多く、岐阜県からの黒川開拓団もその一つだった。日本の敗戦が色濃くなったころ、守ってくれていた関東軍はすでに満州を去り南に移動していた。そして敗戦。その機に中国軍、ソ連軍が侵攻してきた。集団自決した開拓団もある中、黒川開拓団は生き残るためにソ連軍に助けを求めた。見返りは、18歳以上の女性15名による接待だった。こうして生きて引き上げることはできたのだが、その後長らくこの事実は表に出ることはなかった。2013年、長野県の満蒙開拓記念館で二人の女性が性暴力があったことについて話し、初めて公にされた。それまで、陰では偏見による差別があり、当事者たちは故郷を離れるしかなかった。しかし、“あったことをなかったことにすることはできない”という信念のもと、二人の女性が話したのだ。この事実を追い、ドキュメンタリー映画を完成させたのは松原文枝監督だ。今月のトークショー参照。
3 灰になっても
香港がどういう状況になっているか心配だ。民主化を求める雨傘運動は2014年、あれから10年以上が過ぎた。反政府的な動きを取り締まる香港国家安全維持法が施行されてから5年も経過した。その間多くの人が国外に出ているが、この監督アラン・ラウもその一人。2021年には「時代革命」で撮影監督を務めた。その当時、周りで起きている抗議運動をカメラに収め映画作品に仕上げたのがこのドキュメンタリーである。映画の完成は2023年、今の香港はどうなっているのだろう。映画の原題「寧化飛灰」には「塵として朽ちるよりも、灰となっても燃え尽きる方がいい」という意味があるらしい。
他にも楽しめる映画が沢山、今月も映画館でどうぞ。(上映終了済作品もあります。)
◎でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男:20年前、日本で初めて教師による児童へのいじめが認定された体罰事件についてのルポ「でっちあげ 福岡『殺人教師』事件の真相」(福田ますみ著)からの映画化。三池崇史監督のメリハリある演出で事件の怖さが伝わります。綾野剛、柴崎コウ、光石研、小林薫等の俳優陣も堅調です。
◎フォーチュンクッキー:主人公はアフガニスタンの米軍基地で通訳として働いていた女性ドニヤ。カリフォルニア州フリーモントにやってきてフォーチュンクッキーの工場で働いている。変化のない日常、ある時フォーチュンクッキーの文面に自分の電話番号を入れて…。白黒画面にオフビートなユーモアを加えて描いたのはイランで生まれ、ロンドンで育ったというババク・ジャラリ監督。ドニヤを演じるのはアフガニスタン出身のアナイタ・ワリ・ザダ、アフガニスタンでは国営テレビの司会者だったという。映画初出演。
◎アスファルト・シティ:ニューヨーク、ハーレム。大学医学部を目指すクロスは新人救急救命隊員として働き始める。コンビを組むのはベテランのラット。クロスはタイ・シェリダン、ラットはショーン・ペンが演じているが、ペンがいかにもな味を出している。元救急救命隊員が書き上げた原作を基にこの映画を作り上げたのはジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督。この映画を救急現場で戦う英雄に捧げるとしている。
◎脱走:南北の軍事境界線を警備する北朝鮮の兵士は脱北しようと真夜中に予行演習を重ねる。残された時間は2日間。そこに立ちふさがる様々な障害。それらを乗り越えて、主人公ギュナムは南へ脱走することができるのか?秒を争う脱走場面が秀逸。初めて脱走というものを目に見せてくれた感じだ。監督ハイ・ジョンピルの韓国映画。
◎カーテンコールの灯:建築作業員のおじさんを主人公に家族や周りの人々とのきずなの大切さを描く。現場近くで誘われたのは素人劇団への入団で、練習していたのは「ロミオとジュリエット」。家族内で自分の場所を失っていたおじさんが再生し、娘も巻き込まれていく。おじさんを演じるのはシカゴの舞台で長年活躍してきたキース・カプフェラー、妻と娘を演じるのは実の妻タラ・マレンと娘のキャサリン・マレン・カプフェラー。
◎選挙と鬱:水道橋博士の選挙運動に参加して、その一部始終を映そうとする青柳監督の目論見は、博士が当選したことでめでたく終わるはずだった。しかし、物事が順調に進まないことはよくあることで、議員になった後、水道橋博士は鬱を再発してしまったのだ。鬱になったら人のことはおろか、自分の事さえおぼつかないと博士自身が言っていて、議員辞職することになってしまったのだ。
◎消防士 2001年、闘いの真実:「タワーリング・インフェルノ」「バックドラフト」など、消防士映画はハリウッド映画の一つのジャンル(大げさすぎか?)としてあったが、そこに韓国映画が切り込んだのがこの作品。ついに韓国映画界も消防士映画を作るようになったかと感慨深い。しかし、調べてみると、韓国にはすでに「ザ・タワー 超高層ビル大火災」「ファイアーブラスト 恋に落ちた消防士」という共に2012年製作の作品があった。
◎「桐島です」:2024年1月26日、日本で大きなニュースとなった桐島聡の“最期は本名で迎えたい”事件。1年半というかなりの速さで映画化された作品。日本映画でこれほど早い時期に映画化されたことはこの半世紀なかったのでは?半世紀近くに及ぶ潜伏期間に、どんな生活をしていたかを描く作品。監督は高橋伴明、製作総指揮には医師で2024年に長尾クリニック院長を引退した長尾和宏。
◎それでも私は Though I’m His Daughter:麻原彰晃(松本智津夫)の三女松本麗華を追ったドキュメンタリー。地下鉄サリン事件の時、彼女は12歳だった。それ以来、人並みの生活を目指すがかなわない。小学校~高校には通えず、多くの大学にも拒否された後、2004年に文教大学人間科学部臨床心理学科に入学、現在は心理カウンセラーをしているが、今もって銀行口座さえ持てないでいるようだ。
◎夏の砂の上:長崎出身の松田正孝による舞台用戯曲の映画化。映画監督は玉田真也。いかにも舞台作品らしい人間関係が、坂の町長崎を舞台に描かれる。造船所がつぶれ、ぶらぶらしている主人公は妻と別居中だ。そこに彼の妹が17歳の娘を預かってくれとやってくる。共同プロデューサーでもある主演のオダギリジョーが、暑い夏の長崎の町で生きる男を好演。
◎ストレンジ・ダーリン:全6章からなる物語は第3章から始まり、その後も順番通りに並べられることはない。この、いかにも策略的脚本を書き、監督したのはJT・モルナーという人。映画の公式サイトにはCHAPTER欄があり、そこに書かれた順番は、3→5→1→4→2→6となっていて、これは絶対だまそうとしていますよね。楽しんでください。
◎ハンス・ジマー&フレンズ ダイアモンド・イン・ザ・デザート:ハンス・ジマーといえば現在のハリウッド映画音楽の第一人者といえるだろう。ドイツ生まれの彼がイギリスを経由してハリウッドに渡ったのは1980年代の後半。1988年の「レインマン」でアカデミー賞の作曲賞でノミネートされる。その後、12回のアカデミー賞ノミネート(内受賞2回)、計15回のゴールデングローブ賞ノミネート(内受賞3回)、計4回のグラミー賞受賞の実績を挙げている。その彼が、舞台での演奏を始めたのが比較的最近らしいが、今年5月には初来日公演も行っている。もともと人と会ったり、舞台で演奏するのは苦手だったという彼が、今は舞台演奏を楽しんでいるさまがよく分かるドキュメンタリー映画だ。ティモシー・シャラメや、製作者のジェリー・ブラッカイマー、クリストファー・ノーラン監督などとの対談も聞き逃せない。
◎スーパーマン:ヒーローも弱いことがあると教えてくれる新作だ。たった一人のヒーローだったころのスーパーマンはどんな時も強かった。今やアメコミ映画のヒーローはワンサカとなった。多分アメコミの世界には昔から多くのヒーローがいたのだろうと思うが、映画の世界でこうなるには、特撮技術など、技術的な障壁があったのだろう。そこで、負けることもあるスーパーマンの登場だ。
◎顔を捨てた男:生まれつき極端に変形した顔を持つ男が、最新技術による手術で普通の顔になる。俳優志望だった彼はこうして順調な生活に…。そんな時、かつての変顔によく似た男が出現し…。脚本・監督をしたのはアーロン・シンバーグ、自身が受けた口唇口蓋裂の矯正治療の経験をもとに映画を作ってきた。主演は「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」でトランプを演じたセバスチャン・スタン、変顔は仮面をかぶっている。しかし、よく似た変顔男を演じたアダム・ピアソンは神経線維腫症1型の当事者で極端に変形した顔の持ち主。シンバーグ監督の前作「Chained For Life」(日本未公開)では主演を務めていたらしい。
◎三谷幸喜「おい、太宰」劇場版:題名に名前が入っていて、しかも劇場版とあるからには、劇として上演されたのかと思いきや、WOWOWで放映されたものの、映画版ではテレビドラマ版とは別のエンディングが加えられたとある。WOWOWは見ていないのでどんな違いかは分からない。今作は脚本・監督が三谷幸喜とある。
◎BIRD バード ここからはばたく:鳥は飛び去ることも、どこかに飛んでいくこともでき、自由の象徴として描かれることが多い。主人公のベイリーは12歳(えっ、これで12歳と驚くが)の設定で一緒に暮らしていた父親が再婚するようで、家に居場所がない。そんな時不思議な男バードと出会う…。脚本・監督は1961年生まれの女性アンドレア・アーノルド。イギリスのケント州出身。映画の舞台もケント州で、自伝的要素があるのかもしれない。9月5日公開。
<外国映画>
<人間を描く ウィリアム・ワイラー特集>
洋画を見始めた中学生の頃(1962年前後)、ハリウッドのトップ監督の一人として君臨していたのがウィリアム・ワイラーだった。彼の1929~1952年の作品から21本が特集上映された。その内次の9本を見たが、名前だけは知っていた有名作も多かった。
偽りの花園、デッド・エンド、女相続人、大当たりの恋、この三人、砂漠の生霊、探偵物語、西部の男、我等の生涯の最良の年、いずれの作品も濃い人間関係が描かれて見ごたえある作品だ。さらに、次の3作では脚本家リリアン・ヘルマンと組んでいて舞台的な物語の強さ、重さを感じさせた。
偽りの花園:1941年作品。20世紀初頭の米南部、富豪一家の兄妹は綿工場を誘致しようと…。清純・世間知らずの兄妹と酒におぼれる兄嫁。ベティ・デイヴィスが圧倒し、ハーバート・マーシャルとテレサ・ライトが透き通って見える。
デッド・エンド:1937年作品。映画「ウエストサイド物語」に似た感触と思いきや、舞台はイーストサイド。金持ちの家の前にたむろする若者たちが、これは完全にウエストサイド風。さすがに若いころのワイラーでなければ撮れなかった映画。
この三人:1936年作品。1961年に「噂の二人」としてリメイク。1936年のこの作品は男女の三角関係だが、1961年はヘルマンの脚本通りレスビアン的要素を入れた三人で描かれる。しかし、1936年版もかなりシビアなところもある。
ヘルマン脚本作以外では次の2作品が印象深い。
探偵物語:カーク・ダグラスの刑事は様々な困難を強い意志で解決。彼の所属するニューヨーク21分署を万引きで捕まった女性を案内役に、警察署を俯瞰して描く。
我等の生涯の最良の年:第2次大戦終戦の翌年1946年に公開。自身も参戦したワイラーの思いもあるのだろう、三人の帰還兵のエピソードが丁寧に描かれる。
今月のトピックスも参照。
7月12日 ユーロスペース「黒川の女たち」 上映後 松原文枝監督に配給会社太秦の小林氏が質問する形で進められた。
満蒙開拓記念館での二人の女性の発言で初めてこの事実を知った。映画で佐藤ハルエさんが“なかったことにはできない”と発言しているが、この言葉に映画にしなければと思った。ハルエさんは2024年1月に亡くなった。
取材にあたっては遺族会の会長藤井氏にも大変お世話になった。藤井氏は自民党員でありながら、この件に関しては本当に協力的だった。
映画の前半で発言していた安江玲子さんは顔を映してほしくないということだったが、後半で発言するときは晴れ晴れとした表情を見せてくれた。
●アメリカ・カナダの主に中華料理店で出されるフォーチュンクッキー、その工場で働く女性を主人公にした「フォーチュンクッキー」。中に入っているおみくじを包んでいるのは、クッキーと言いながら何故か煎餅生地なのは、日本発祥ではないかとWikipediaにある。江戸時代に日本で流通していた和菓子・煎餅が日系移民によってアメリカに持ち込まれ、そこで中におみくじを入れたという。初めは日系レストランで出されていたが、それを見た中華レストランがまねをした。その後、第二次大戦中は日系レストランの多くが閉店となり、中華レストランのみで提供されるようになったという
日本で最も有名な外国映画の1本である「ローマの休日」を監督したのがウィリアム・ワイラーだ。1953年に公開されたこの映画は、オードリー・ヘップバーンのデビュー作として記憶されていることが多い。(正確にはそれまでに何本かの作品に出ている。)しかも彼女はアカデミー賞主演女優賞を受賞している。描かれるのが某王国のお姫様をめぐる冒険・コメディ・ロマンスものだったことで、天皇制下の日本で愛されたとする向きもあるが、いずれにしろ多くの人に愛されたのは確かだ。
「ローマの休日」以降にワイラーが監督した作品には、次のようなものがある。
「必死の逃亡者」
「友情ある説得」
「大いなる西部」
「ベン・ハー」
「噂の二人」
「コレクター」
「おしゃれ泥棒」
「ファニー・ガール」
今月の旧作で取り上げた特集<人間を描く ウィリアム・ワイラー特集>は「ローマの休日」以前の作品のみが集められている。私が見た9本以外にも次のような作品が含まれていた。
「孔雀夫人」
「大自然の凱歌」
「黒蘭の女」
「嵐が丘」
「ミニヴァー夫人」
「黄昏」
こうした作品群で多くのアカデミー賞にノミネートされ、受賞もしている。
作品賞を受賞したのは「ミニヴァー夫人」「我等の生涯の最良の年」「ベン・ハー」、監督賞も作品賞と同作品で3度受賞している。
監督賞には12回ノミネートされていて、この記録はいまだに破られていないという。
1959年に公開された「ベン・ハー」は11部門で受賞し、今なお最多受賞作品となっている。その後、1997年の「タイタニック」、2003年の「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」が同じく11部門を受賞して、3作品が最多受賞で並んでいる。
「ローマの休日」でヘップバーンにアカデミー賞主演女優賞をもたらしたが、多くの俳優にアカデミー賞を受賞させている。主演・助演を合わせて14回の受賞となり、彼の作品で受賞者となった俳優には、ベティ・デイヴィス、フレドリック・マーチ、チャールトン・ヘストン、バーブラ・ストライサンド等がいる。
Wilheim Weiler(ヴィルヘルム・ヴァイラー 本名)は1902年7月1日、当時ドイツ帝国領であったミュールハウゼン(現在はフランス・アルザス地方)で生まれている。父はユダヤ系スイス人、母はユダヤ系ドイツ人でともにユダヤ教徒でもあった。家業の小物屋を継ぐことを嫌い、パリに出て音楽を学んだが挫折、遠縁にハリウッドの重鎮がいたことから映画の道を志し、18歳で渡米する。映画関係の様々な職(雑用、宣伝、小道具、配役、助監督)を経験し、1925年に監督に昇進した。
その後は上記のような多くの名作、傑作を監督した。
1981年ロンドンの映画祭に出席、7月26日に帰国したが、翌7月27日ビバリーヒルズの自宅で心臓麻痺により死去、享年79歳だった。
6月19日に亡くなった堀越謙三さんを悼んで、黒沢清監督が朝日新聞に寄稿していた。
文章には映画プロデューサーという肩書が付けられていたが、たぶん普通の人は知らない名前だったろう。
私も55歳で会社を辞め、映画美学校に行かなければ知らないままできただろう。働いていた時も、今ほどではないが映画は見ていたので、渋谷のユーロスペースは何度も訪れていたが、その映画館を作ったのが堀越さんだとは知らなかった。
映画美学校を作ったのも堀越さんということで、週一で1年通った夜間の映画上映専門家養成講座の卒業パーティでお会いしたことがあった。ユーロスペースという名前を不思議には思っていたので聞いてみると、ドイツで足売り(旅行業界でいう航空券販売)をしていたのでと教えていただいた。こちらが旅行業にいたことでそんな話になった。
まったく偉ぶることなく、ひょうひょうとしていた堀越さん。
ご冥福をお祈りします。
次号は、たぶん暑い日が続いているだろう8月25日にお送りします。