cogito

プティットパンセ   La petite pensée

 改元という名を借りた政治ショー

 平成の次の元号となる「令和」が発表された日、2019年4月1日、月曜日。新年度を迎え企業では入社式を始めとして、日本全国至る所で様々な行事が行われていた。 その中でも異彩でかつ最大級の行事は新元号の発表という儀式である。何日も前から元号発表当日の詳細な内容・スケジュールが予告されていた。 その当日、なんとNHKは朝からこの儀式を終日執拗に報道し続けていた。テレビでは発表前は新元号の予想を面白おかしく取り上げ発表を盛り上げていた。令和が発表されたあとはこの新元号にまつわる話に終始した。取り上げ方はひたすら賛美するという方法で。話題性つくりとしては基となった万葉集に関する書籍が店頭から次々と消えている、馬鹿売れしているという尾ひれまでがついた。

 日本中がひと月後から利用されることになる元号に浮き足立っていた。いや、浮き足立つように仕組まれていた。街頭インタビューでは国民の喜びの声が届けられた。勿論、否定的な意見はすべてボツにされたことであろう。 しかし、これは政権側が仕組んだ政治ショーだったのではなかろうか。わたし自身には新元号に特別な思い入れはない。またとくには元号に罪があるとは考えない。
が、これをショーとして、とくに統一地方選挙の真っ最中という最高のタイミングを狙っての政治ショーが仕組まれていたのではなかろうか。 人々は改元されればなにかよい方向に時代が向いていくという錯覚を植え付けられたようだ。まるで麻薬中毒のように、ひたすらなにかいい物が待っているという期待感だけを抱かせられた。新しい時代、次の時代、という観念的な言葉が無意味に飛び交った。

 そしてその効果は4月7日の選挙で自民党が地方政治でも過半数を得るという圧勝に導いた。さらに翌日発表された産経新聞では内閣支持率が5.2%増加するという効果を発揮した。政権は一気に47.9%という高い支持率を得ることになった。元号制度についても82.7%が今後も続けるのがよいと回答したという。

 世界的にみれば元号を使っている国はいまや日本だけになり、それを日本独自の文化として高く評価するひとたちがいる。元号そのものは中国で紀元前2世紀に始まったものと言われている。 日本では645年の大化より始まるものではあるが、年号は天皇制度と深く関わるものであり、天皇の代替わりであったり地震や噴火といった災害、疫病などの天変地異にあたって行われてきた。 しかし、それがどれほど深く広く行き渡っていたかということについては諸説ある。庶民は殆どが六十干支(ろくじっかんし)を利用していたというのが定説である。60年でひと廻りするこの暦で十分であった。元号が大勢のひとに利用されていたというのは誤りである。

 元号が日本独自の文化というのも起源からすれば偏った見方であるし、さらに独自の文化ということにどれほどの価値があるのか疑問である。独自性を課題に評価するのは他者を排除することに繋がる。

 時代をしっかり理解するためにも面倒な元号は廃止するか、あるいは貴重な遺物として博物館にでも陳列するだけというのはいかがでしょうか。元号は一部愛好家の楽しみだけにし、無理に社会に浸透させる必要はないかと思います。元号が替わるということで世の中が変わる、時代が新しくなる、そして単純に良くなるという幻想だけは持たないようにしたいものです。



                                      2019年4月9日


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