cogito

プティットパンセ   La petite pensée

 十二人の手紙

井上ひさし氏がなくなってはや10年が過ぎた。一般的に本は作者が死んでしまえば、その後の売れ行きは急激に落ちる。読者としてはその時代に活躍している作家の生き生きとした作品を好むからであろう。

ところが井上ひさし氏の「十二人の手紙」の売れ行きが好調である。

Amazonの直木賞受賞作家の本というジャンルでは売れ行き一位を続けている。


そして出版元の中央公論新社も大きな新聞広告をだす。"続々重版!"というコピーがまぶしく見える。この古い作品が今になってなぜ脚光を浴びるのか、不思議であるが、うれしくなる。


この作品が世に出たのは1978年(昭和53年)6月である。今から42年も前のこと。2年後1980年には文庫として出版された。それから40年、ロングセラーとして売れ続けてきたことになるが、爆発的に売れ出したのはごく最近になってから。

今この作品の読まれ方はミステリーとしての面白さからだろう。プロローグの「悪魔」から始まってエピローグ前の作品「泥と雪」までが複雑に人々が関わり合いながら話を脹らませてくる。そして最後の「人質」でその謎がひも解ける。まさに一気読みしたくなる面白さである。
しかしこの作品は本格的なミステリー読みにとってはちょっともの足りないかもしれない。細かな点を取り上げて行けば無理のある構成もでてくる。しかし、各編とも短編作品として読めば作者のたくみなテクニックで快いだまされ感を味わうことができる。

物語は12の短編がそれぞれ独立しているので、一つ一つ、毎回そのひねりを楽しむことができるのだ。始めて読んだとき、わたしは独立したただの短編集だと思っていて、最後のところでそれぞれの作品が結びついて行くことに大いに驚いたものである。


短編として楽しめるのはそれぞれの主人公が貧しく、不幸な生き方をしているある意味陰を持った魅力的なひとびとばかりであるからだ。12人のうち男性は3人のみで9人は女性である。だから女性の文体による手紙が多いのも魅力のひとつ。

ほとんどは手紙による語りだが一部は出生届、婚姻届などの役所への無機質な提出書類などで構成されている。この手法はある意味ずるい方法である。なにしろ手紙というのはもともと自分の都合のよいことだけを書くものであって、登場人物を結びつける細かな背景はすべて省略できるから、大事なことを隠すこともたやすい。それだけに、この手法で物語を作るにはそれなりの力量が必要になってくる。


ミステリーとして楽しむのもよし、そして正しいというか美しい手紙分を書くための教則本、ハウツーものとして読むのもまたよし。
とにかく読んで損はない、そして井上ひさし氏らしい面白く、深い味わいを持った作品を堪能していただきたい。この作者はこれからも高い評価が続くことであろう。



                               2020年4月18日



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